瞑想は手軽に生活の質を上げられるシンプルなテクニックです。
お金もかかりません。
ただ座って印を組み、長い間ジッとしてる。
初心者は大体苦痛ですが出来るようになるとやせ我慢でもなんでもなくて出来ちゃうんです。
何故長い間、ジッとできるかと言うと実はあれ、脳や体が気持ちいいんです。
実は語るのがちょっと恥ずかしいくらいな気持ち良さです。
実は瞑想ってそんな感じなんですね。
そして思考の堂々巡りからも解放される糸口になってくれます。
言うことなし。
瞑想で気持ちよくなる。
変な話、こう言う感覚を得るために一部の人たちは薬物を使っちゃうのかなと。
薬物使ったら取り返しつかないですけど、実は何にもいらないし、脳も破壊しない。
勿体無いですよね。
ただそういう脳や体になるために脳や体が開拓される必要はあると思っています。
開拓の仕方はいくつかあるのかも知れません。
私はヨガをしませんが、たしかヨガも瞑想するためのテクニックだったと思います。
脳だけではダメで体が瞑想に適応出来ないとダメなんです。
脳が気持ちよくなっても体が長い間座れなければ続けられないですから。
ここ連動してるんです。
「瞑想」と言う言葉が生活の中で聞かれるようになって随分長い間私は瞑想をしなかったし、また、たまにしても多少静寂を体験するくらいで手応えがありませんでした。
徒手療法を学んだ先生が瞑想に真剣に取り組んでる方でした。
すると自然にクラスに瞑想が組み込まれたりするので
瞑想に触れる機会はあったんですね。
クラスでするくらいで自分からはしなかったですけど。
思い返すとその他にも瞑想に真剣に取り組んでる人が私の周りに比較的多かった様に思います。
やるとわかりますが瞑想は怪しかったり、また特別な事ではなく、むしろエリートと呼ばれている人が積極的に瞑想の技術を取り入れてる印象がありました。
彼らは情報収集が上手なんですよね。
また実践もする。
こんなふうに周りにしてる人がいても私は中々瞑想をしませんでした。
それがある時を境にハッキリと瞑想が出来るようになったのです。
大きな決断を迫られた時があって脳に大きな負担がかかりました。
すると脳の中で何かが変化して急に特殊な感覚に入って。。。
ビックリしましたがこれが瞑想の状態なんだと理解しました。
私は苦境に立たされていましたがその後瞑想が良い方向に向かう大きな助けになってくれました。
またその変化は一過性のものではなくその後瞑想をしようと思えばその状態に入れるようにもなっていました。
ムドラー(瞑想の時のとるてのポーズ)を組むとなるほどエネルギーの巡りが良くなる。
組んだ方が気持ちいいんです。
体でムドラーを理解出来ましたし聖人と呼ばれる人が何をしてきたのか改めて考えるようにもなりました。
ただ、私のような怪我の功名的なプロセスは危険すぎるのでお勧めできません。(苦笑)
そもそも瞑想が出来るようになったことはこの場合、副産物ですから。
そもそも瞑想を目的にしてた状況ではない。
結果がたまたま良かったからいいけれど一歩間違ったら脳を駄目にしかねない危ない事です。
理想は信頼できる先生について一緒にしつつ、自分の瞑想をコツコツ積み上げていくことではないかと。
体のことなので毎日少しずつするといいと思います。
あとは長く座れるように柔軟するとか。
瞑想はきっと生活の質を上げてくれると思います。
私が今まで出会った人の中で一番そういう事が進んでる人と一年ほど前に話す機会があり
「瞑想が妄想を酷くしている。」
そう言われました。
どういう意味だろう?
そう思いましたがその人が言うのだからきっと何かあるのだろうとやめてみる事にしました。
もともと瞑想にこだわりがあったわけではなかったので放り出すことは簡単でした。
最初は意味がわからなかったけれど時間がある程度経って、何故そう言われたのか理解できるようになりました。
手放した事によって瞑想への理解が深まった。
逆説的なんだけど面白いですよね。
そろそろ少しずつ再開しようかと思っています。
ある時不意に私の人生に訪れた瞑想ですがいろんな紆余曲折を経ながら育っていくのかなぁと思います。
また、自分の瞑想を少しずつでも育てていれば瞑想が出会いをもたらしてくれるとも思っています。
誰かと瞑想を共にする時、自分の積み上げた瞑想が、よりその時間と空間を豊かなものにしてくれると思っています。